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[必要とする人材に対して、依頼者が礼を尽くすこと]
劉備が孔明を軍師として迎え入れるため、三度に渡り、孔明を訪ねることから生まれた言葉。 |
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[必要不可欠な人(君臣の信頼関係)の存在の例え]
劉備と孔明の信頼関係を、水と魚に例えて生まれた言葉。 |
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[人間は自分を傷つけることはない、と思い込む心理を突いた計略]
赤壁の戦いの際、司令官である周瑜により、鞭打ちの計に罰せられた黄蓋(こうがい)は、敵である曹操軍に投降するが、それは曹操軍に放火するという作戦の為だった。 |
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[大勢の中で最も傑出した者。兄弟の中で最も優れている者]
劉備に仕えた馬良(ばりょう)が優秀な五人兄弟の中でも最も優れており、その眉が白かったことから生まれた。 |
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[年を老いても、衰えるどころか、若者を凌ぐほど、意気盛んな様子]
「赤壁の戦い」の後、劉備に仕えた将軍「黄忠(こうちゅう)」の、老いても勇猛果敢だったことを物語る。 |
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[私情を挟まず、全体の規律を保つためにやむを得ず、愛する者でも処罰すること]
有能な部下として認めていた馬謖が、命令に背き大敗を招いた際、軍罰の厳しさを示すため、孔明は涙をのんで、馬謖を処刑した。 |
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[偉大な人物は、生前の威光が死後も残っており、人々を恐れさせるということ]
孔明の死の知らせを聞いた魏の司馬仲達(しばちゅうたつ)は、退陣しようとする蜀軍の追撃を開始したが、反撃の構えを見せた蜀軍の動きに「孔明の死」という知らせの裏には何かの策略があると疑い退却した。 |
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[危機が迫り、存続か滅亡かの瀬戸際である状況]
劉備の死後、その子、劉禅が帝位についた蜀は、三国の中で劣勢の地に立たされていた。
その際、孔明が「魏を打つべし」と奉呈(ほうてい)した「出師の表(すいしのひょう)」の中にある言葉。 |
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[勢いに乗って勝ち進む、勢いが激しく、とどめることができないさま]
晋の杜預(どよ)率いる軍勢が、百年来の敵である呉の首都、建業(けんぎょう)に陸路と海路から一気に攻め込み、呉を勢いに乗って滅ぼしたこと。 |